オーストラリアの姉の家に滞在するにあたって、
一番心配していたのは、お風呂だった。
こちらのお湯はタンク式で、
一定量を使うと、水に変わってしまうらしい。
姉からも、
「お湯がなくなるかもしれない」と聞いていた。
もしそうなったらと、
近くのホテルまで探してくれていた。
でも、その料金は最低でも4万円。
地元のプールなら、500円で温水シャワーが使えると聞き、
最悪の場合はそこに行こうと思っていた。
そんなふうに、
“お湯がなくなるかもしれない”前提で、オーストラリアに来た。
結局、姉の家では、
6人全員が毎日ちゃんと温かいシャワーを浴びることができた。
それだけで、ほっとした。
私はこれまで、
どんなときもバスタブ付きの部屋を選んできた。
毎日、湯船に浸からないと、
疲れは取れないと思っていたからだ。
シャワーだけなんて、考えられなかった。
でも「お湯がなくなるかもしれない」
そう思いながら過ごしていると、
湯船に浸かれないことなんて、
気にする余裕もなくなっていた。
ある日、
温かいシャワーを浴びながら、ふと思った。
これで、十分じゃないか。
むしろ、
温かいお湯が出ること自体が、ありがたい。
当たり前だと思っていたことは、
少し条件が変わるだけで、
こんなにも意味が変わる。
そして、帰国前の最後の2泊。
ブリスベンのホテルで、
久しぶりにバスタブに浸かった。
約2週間ぶりの湯船。
体を沈めた瞬間、
「はぁ」と、全身の力が抜けた。
やっぱり私は、
お風呂が好きなんだと思った。
でも同時に、
湯船がなくても、
温かいシャワーだけで十分だと思えた自分もいた。
どちらかじゃなくていい。
自分にとっての心地よさは、
ひとつじゃないのかもしれない。
🌻脳内ルール
湯船に毎日浸からないと無理
↓
なくても大丈夫。あったら、やっぱりうれし
初出 : X @hanahanahealing